吉阪隆正展を見て(福岡2006年6月) |
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吉阪隆正は1980年に亡くなった日本を代表する建築家なわけです(そうして私の大学の大先輩でもあります^^)。代表するといっても作品としては万人の目にとまるようなものは少なくて、よほどコアな建築ファンでなければ(日本では貴重な存在でしょうね^^;)、実際名前も聞いたことがないという人がほとんどでしょう。 もちろん作品にも氏の思想が反映されていますが、作品とあいまってその思想や人間像に対して今日活躍する建築家の多くが影響を受けているわけです。(直接の接触があったという点で、我々より上の世代で顕著ですね) そうして次の世代にその思想を継承していくという意味で今回の展覧会は企画されたものだと思います。東京→京都ときて福岡に巡回してきました。 氏の思想で一番有名なのが「不連続統一体」・・・個々はそれぞれに個性をもちつつも、それらが全体となったときにも統一性をもって輝くという考え方で、建築はもちろん都市計画や社会のあり方、身近なところでは設計作業の進め方にまでその思想をあてはめようと試みました。 「不連続統一体」・・・この考え方が私に投げかけてくるもの・・・私が設計をするにあたって今一番大切にしているのは、建て主にとって気持ちのいい空間を作るということです。しかしながらもっと建築に対する根源的な話としては、日本のこのおもしろみもなくどうにもならない町並みを何とかできないかということがあります。個々の建物は10人十色の建て主に対してもちろん個性的で光り輝いていていいと思いますが、町の景観を彩る一要素として、住宅も社会的に何らかの責任を負っているのでないかということを考えるわけです。 同形状の反復というのはデザイン的にはオーソドックスな手法で、同じような形状を等間隔で繰り返すことによって美しく感じさせるといやり方は、一般の方でも理解できる話だと思います。ヨーロッパなどで町並みを美しく感じたりするのは、建築にある一定の様式があり、大きさも似た感じで連続していくからという部分が大きいのではないでしょうか。(もちろんそれだけではありませんが^^;) 日本を振り返ってみると、一般的な住宅街に行けばどこを見ても同じような家が並んでいますよね。ハウスメーカーとそれを模倣する地元工務店に全ての責任を押し付けるわけではないですが、良くも悪くも何らかのスタンダードがそこには生まれてしまってますね。 ・・しかしながらどうでしょう?町並みとしては美しいんでしょうか?どうもそうは思えません。同じような形状での繰り返しは美しくて然るべきなのに・・・それはなぜなのか? 日本の木造家屋において伝統的な屋根の掛け方は寄せ棟と切妻でしょう。屋根勾配も3/10〜4/10が普通です。広大な敷地に建つ平屋や部分2階の建物は美しいものもありますが、敷地に余裕が無く、隣との空地もほとんど取りようが無いところで、1階と同規模の2階が乗っているような建物を切り妻か寄せ棟で連続して並べると、多分プロポーション的に破綻するのではないでしょうか?・・・と書くと紋切り型の話になってしまいますね^^;。やり方によってはそれでも統一感を出して美しくまとめることはできるんだと思います。しかしながら個々の建物にある程度の自由度を残して、それでなおかつスタンダードな部分にこの屋根形状とボリュームを当てはめて、全体としての調和を美しく保つというのはかなり難しいような気がします。実際破綻してるし・・・^^;。 ではいったいその個性をどう統一していくのかという事ですが・・・これは思案中です^^;。なんだそりゃ・・・。難しい話ではなくても何か個々の建物に共通できる要素はないかと日々探しているわけです。 現代の日本の住宅事情では敷地が狭小なのは仕方のないところ・・・。この小さなボックスを全体の一部として景観を構成していくには、形としては切り妻や寄せ棟ではなく、陸屋根(平らな屋根の事です)や片流れがふさわしいのではないかと個人的には考えています。陸屋根は防水の観点からも木造とはなじみが悪いので、日本の古来からの建築の知恵を継承する軒先の考え方などを併せ持つと言う事で、私は現在好んで片流れの屋根形状を使っています。他にも深い軒先やルーバーの復権など、日本建築の伝統的な様式にも見直されるべき部分が多々あるように感じます。 残念ながら吉阪先生には直接授業で教えを受けたことはありませんが、今回の展覧会を通して、ふとそんなことを考えました。 |
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